就労支援事業所 あまみん

今回の帰省中に2ヶ所の事業所を訪問させていただくのを楽しみにしていました。

その一か所が、「就労支援事業所 あまみん」です。

代表の田中基次さんは作業療法士

琉大の農学部を卒業したあとに信州大学でOTの勉強をされた方です。

ですから、就労支援、農業ともにスペシャリスト!

写真を撮る時間さえ惜しんでお話しを伺いました。というわけで、入り口のこの写真しかありません。素晴らしい眺めと、施設設備はあまみんのホームページでご覧ください!

本土出身の田中さんが、沖縄で学び、働いた後に我が故郷の龍郷町へ移住し、笠龍地区(りゅうりゅうちくといいます)の福祉の充実に尽力されているのは嬉しい限りです。事業所名からも大島を愛していることがよく伝わってきます。

オープンされる前から田中さんとはSNSで連絡を取っていました。web越しに拝見していましたが、土地の入手、建物の建設、備品購入、開業の許可、職員と利用者の募集まで、一人で頑張ってこられたご苦労はいかほどばかりだったかと思います。

とにかくアイディアが素晴らしい。既存の枠にとらわれていては、就労支援事業は発展しないと思います。次から次にアイディアが湧いてくるのでしょうね。それを一つひとつ実現させているバイタリティーも併せて素晴らしい。詳しくはブログをご覧ください、読むとワクワクします!

今後の課題は職員の育成。自身の片腕・後継者を育てていくことは私も大いに悩み、考えるところです。 

昨年の11月にオープンしたばかりですが、今年に入り早くも相談支援事業も始められ、数十名のお客様を抱えておられます。

旧名瀬市に固まっている相談支援事業所、北大島の龍郷に計画相談の新しい拠点が生まれたことも、シマの児・者福祉の大きな一歩です。

大島と石垣、互いの地でキバリマショウ!

 

お話しに夢中になっている間に、ちょうど12時のサイレンが

今日は終戦記念日、一緒に黙祷を捧げました。いつまでも平和でありますように

 

また来ます! 次回は鶏飯をいただきます。

●多機能型事業所 あまみん(就労継続支援B型/生活訓練)

●あまみ相談支援センター(特定相談支援/障害児相談支援)

●ゆらい処 あまみん(鶏飯&カフェ)

希望の星学園

今年私は生まれ年です。12年ぶりに、中学時代の同級生と旧交を温める同窓会があり、故郷の奄美大島に帰省してきました。

この「希望の星学園」は、私が子どもにかかわる仕事をするきっかけになった施設です。

大学2年生の夏休みに、ここで一か月間実習をしました。実家のある龍郷町内にありますが、当時は昭和、まだ精薄児入所施設とよばれていた頃です。昨年50周年を迎えたそうですが、ということは当時創立23年で、まだまだ若い施設だったのですね。離島を含む奄美大島じゅうの子どもたちがここで共同生活をしていました。

私は学園も子どもたちも、小学生の時から知ってはいましたが、年に一回出会う位で、まだインクリュージョンなどという言葉もなく、同じ町内に住みながら彼らは遠い存在でした。ですから19歳の時、初めて身近に接することになります。それはそれは新鮮で素晴らしい出会いでした。

毎日がびっくりする出来事やハプニングばかりでしたが、それを楽しめ、大変なことも喜びとして受け止めることができました。実習を終える頃には、子ども達にかかわる仕事に就こうと決心している自分がいました。

卒業後に勤めませんかと誘っていただけましたが、学校教育に進むことになります。そして巡り巡って今、また近いところで仕事をしています。

実習当時面倒をみていただいた先生が、今は理事長・園長先生

当時担当した小学生も、敷地内にある成人の施設にいるはずです。

実家を出発して奄美空港に向かう時に、国道沿いにあるこの学園を必ず通りますが、さあ、石垣に戻ってまたがんばるぞと力をもらっています。

名蔵アンパル

名蔵アンパルへ、干潮時を目指して出かけてきました。

この看板が見えたところで、左側に入って車を止めます。そのまま海に出ないでくださいね。アンパルは道路をわたった右側です。

思い思いに生き物たちを探しました。

写真では大きさが分かりにくいですが、10センチくらいあります。

理科の教科書に出てくるビカリアみたいです。

キバウミニナというようです。

水槽の左側にシオマネキたち

一種類ずつ見つけてくるのがすごいです。それぞれ〇〇シオマネキと名前がついています。

これは、シレナシジミでは!

 

生き物たちを元いた場所に帰してお別れしました。

次の日中の干潮時には、海へ出かける予定です。

8月6日 ヒロシマ

昭和20(1945)年8月6日 午前8時15分

世界で初めての原子爆弾が広島に落とされた日時です。

決して風化させることなく伝え続けなければなりません。

教室では高学年、中高生が「父と暮せば」を鑑賞しました。

広島弁が聞きづらかったかもしれません、字幕を出すべきでした。

親がわが子を想う気持ちはいつの時代も不変です。

そして、絶対言ってはいけないとわかっていても口をつく、なぜあなたが生きていて、私の子が…、親にしかわからない究極の想い

「生かされている」という言葉をしばらくぶりに心に留めました。

職員募集

求人のお知らせです。

子どもが好きなことは大前提ですが、かつ生きにくさを抱えている子どもたちにかかわります。
子どもたちの将来のために力を注ぐことのできる方、また、発想が豊かで、あたらしい学習支援プログラムを創り出し、指導していける人材を求めています。マニュアルを求める方には不向きです。
一緒に専門性を追究し、子どもたちの幸せのために努めつつ、自身の幸せのために一緒に働きませんか。

職種:保育士・児童指導員
・発達の課題がある子どもたち一人ひとりに応じたオーダーメイドの学習支援
・ライフスキル・ソーシャルスキルの指導
・学習支援プログラムの開発

必須資格 保育士または教員免許 / 児童指導員任用資格

※児童指導員任用資格については、リンク先をご覧ください。

週1日~フルタイムまで応相談

フルタイムの場合 主として10:00~19:00

初任給 174,800円~184,000円(経験等考慮 月23日勤務 処遇改善手当含む)

賞与 年間1.5ケ月分相当(月ごとに配分)

交通費 月上限4,000円まで

社会保険・雇用保険・労災保険加入

パートタイムの場合 主として14:00~18:30

初任給 900円~1,000円(経験等考慮 処遇改善手当含む)

ふみの月

文月の異名を持つ7月も明日で終わり

また、7月23日はふみの日でした。

小学生の時、切手を集めていた時期があって、夏休みに入ってすぐに、4キロ離れた郵便局まで、ふみの日の記念切手を買いに出かけた思い出があります。

学期中は宿題に追われるため、平日のメニューではなかなか丁寧に、心を落ち着けて文字を書くことにだけ集中できない現状です。

そこで、夏休み入りたての一週間あまり、硬筆・ペン字の時間を設けて暑中見舞いを書きました。

送り先は、それぞれの学校の担任の先生を中心にしました。

大人でもメールどころかライン中心になり、日本の伝統と風物詩は忘れられつつあります。

郵便番号、住所、宛名を書いたことも、ハガキを自分の手で投函したことも、切手の裏を舐めて左上に貼ったこともない子もたくさんいると思います。

そして何よりも、日ごろお世話になっている人に感謝し、ご挨拶する習慣を大切にしてほしいと思います。

知的好奇心

国立科学博物館に、「歴史を旅する日本人」というコーナーがあります。

港川人から江戸時代まで、ヒトの進化と生活に着目した模型が展示されています。

髪の毛や産毛の1本1本までがリアルで、今にも動き出しそうです。

もしかしたらいつか、石垣島で発掘された白保竿根田原人の模型も作られ、展示されるかもしれません、その日が楽しみです。

江戸時代のヒトは、近世人と表示されておりました。男の子の髪形が現代からみるとユニークですが、当時は当たり前の髪形だったのでしょう。何かを真剣な眼差しで見つめています。

説明書きにこのように記されていました。

わが子を寺子屋に連れてきた母親と、武家出身と思われる先生。平和の続いた近世には、庶民の間でも寺子屋における「読み書きそろばん」の教育が普及した。先生が説明している「傘式地球儀」は、土浦の沼尻墨僊の発明によるもので、最新の知識を庶民にまで至らせるという日本式教育の象徴といえよう。

国立科学博物館らしい表現です。

子どもたちの知的好奇心を満足させる教室であらねばと改めて心に誓った次第です。

生きる

今月は存じ上げる方々の訃報が幾つもありました。

つい先日は、日野原Dr.が大往生を遂げられました。

書棚からDr.の著書を取り出して読み返しています。

この本は12年前に大きな手術をしたとき、お見舞いにいただいたものです。

ここ数年の日野原先生のお姿と比べるとかなりお若いです。それでも90余っていらっしゃったのですね。

星野さんの詩は、30年以上前に首を怪我して入院した時、お見舞いに贈っていただきました。

石垣島でも数日前に、110歳のおばあちゃんご逝去の報を、新聞の謹告欄で拝見しました。

沖縄では、97歳を迎えるとカジマヤーの祝いをします。

当時勤務していた校区内の集落にお住まいだったので、児童たちの演奏で一緒にパレードをしました。石垣に来た年に、貴重な経験をさせていただきました。

あれから13年

今日、その時にいただいた日本手拭いが出てきました。おばあちゃん、長い間お疲れさまでした。頭に巻くたんびに思い出しますね。

自分の一生があとどのくらい残されているかは分かりませんが、一度きりの人生、とにかく大事に生きたいと思います。

寺子屋 4年目のスタート

寺子屋が満3周年を迎え、今日から新たに4年目に入りました。

平成26年の7月1日にスタートを切りました。

6月29日に開所式を催しましたが、最終的な認可の通知が届いたのは翌30日

ギリギリにしか県の書類は届かないと聞かされてはいましたが、実際に届くまでは心配でした。開所式までして、新聞に取り上げてもらって、万が一オープンできなかったらどうしようかと内心冷や冷やでした。

開所当時から通っている生徒は5名

スタートして半年位までは、1日に5名出席者がいるのが稀でした。

今日現在通っている子は31名を数え、10人を越える日もあります。隔世の感です。

無事に1周年を迎え

2周年を終え

3周年を迎えました。

石の上にも三年の諺通り、先ずは3年継続し、社会的な責任を果たすことができてほっとしていますが、自分の中では石の上にも十年といつも言い聞かせています。

公的な教育・福祉で手の届かないサービスをこれからも提供できるように、不断の努力を惜しまないこと、怠らないこと

 

数ある放デイと児童発達支援の中から、わざわざ寺子屋を選んで通ってくれている子どもたちと保護者

そして数ある勤め先、職種の中から合同会社RUCAを選択し働いておられる職員の皆さんに改めて感謝します。

 

プロの振る舞いと矜持

東京出張の際に、仙台時代の教え子がバーテンダーをやっている店で飲む機会がありました。

これもSNSのおかげです。

 

バーのカウンターですから、両側をはじめ見知らぬお客さんと隣合わせです。

小学3年生の時の担任の先生ですと紹介され、なかなか照れくさかったです。

でもその紹介のしかたに無理がないのです。

自然と隣のお客さんとの間にも風を通すような感じです。

そういった一つ一つの振る舞いにプロの気品を感じます。

 

本人は本人で、まるでお父さんがきたみたい、と照れています。

実際にお父さんも仙台からいらして、カウンターに座られたそうです。

 

話に花が咲きます。当時の私の年齢が26と聞いて、追い越していると驚いています。

女子校の女の子もドッチボールが大好きでした。くる日もくる日も休み時間はドッチボール三昧でした。

それから交換日記の思い出、20年前にタイムスリップ

まだまだアナログの、のんびりした時代でした。

 

お酒の名前

それぞれにまつわる知識

お客さんの名前

お仕事

お酒の好み

これらと、お店で出すお料理をすべてマスターし、検定に合格して始めてプロの証である白いタキシードを着ることができるそうです。

とってもおとなしかったYunaさんが、近い将来自分のお店を持つことを目標に、タキシードを着て私の前に立つ姿は、本当にカッコよく、輝いていました。

仙台にお店を出すときは、何を持参でお祝いにかけつけようか、今から楽しみです。