教育という種蒔き

長崎は、私が高校3年間を過ごした故郷です。

在学中先生方には、とにかく余計なことばかりして迷惑をかけました。

 

夏、冬、春の休みになると、実家に帰ることしか考えていませんでした。8月に入ると文字通り飛んで帰ります。

母校は、アウシュビッツで亡くなったコルベ神父が昭和初期に創立した学校です。

また、永井隆博士が戦後教鞭をとられた時期もあります。

 

もちろん勉強したり、話を聴いたりしました。

しかし、頭で分かっているだけでした。

長崎駅より北は路面電車で30分以上かかり、東側で寮生活を送っていた私にとって、爆心地の浦上は遠いところでした。

8月9日も、三年間長崎市民として過ごした割には希薄でした。

恥ずかしながら、これらが本当の意味で心に響くようになったのはつい最近のことです。

大病をしてから子どもが生まれ、母校を訪れた10数年前

その後また倒れて、長崎の子どもたちから千羽鶴をいただきました。

 

昨年、親子記者に選ばれ、平和祈念式典に初めて出席し、永井博士の孫にあたる館長の徳三郎氏を取材しました。

 

今年は家族全員で原爆遺構を辿りました。

今、長崎で教育を受けた意味を少しずつ理解しています。

 

高校時代に先生方が苦労した種蒔きは、30年以上が経過しましたが、ようやく少し実ったようです。

 

思い切り困らせましたが、先生方と同じような道を歩んでいます。

 

そう思うと、教育は気の遠くなるような作業であり、人を育てるということの責任と尊さを感じます。