障壁

半年に一度の、CT検査と診察による経過観察に行ってきました。

寛解状態が8年を越えて9年目に入り、大病を患ったのがだんだん遠い昔に思えるようになってきました。

でもその時の苦しみや悲しみをはじめ、病気しなければ分からなかったことは今でも大切にしています。

言葉を発しようにも音声言語として出てこない体験や、たった5ミリほどの段差が何十センチもの高さに感じられる体験、すぐそこにある物を痛みと拘束で取ることができなかった経験は、五体満足で生まれてきた者としては衝撃的なことでした。

それらは、その後の私の人生に大きな影響を与えています。私の経験はICIDHの医療モデルに相当すると思いますが、ICD-10の社会モデルを考え、理解し、この教室を続けていくのに不可欠です。

いつもは沖縄本島へ足を運ぶと、リサイクルショップや古本屋で、知育教材や本をどっさり買いこんでくるのですが、今回は運動用具を購入してきました。

心身とも健康でいられるよう、職員も子どもと一緒に体を動かし、楽しみたいと思います。

学び方

本日、島内の小中学校で入学式が執り行なわれました。

入学や進級を前に、小6以上のお友達と映画「ビリギャル」を鑑賞しました。

この教室にも、様々な学び方をする仲間が集まっています。

わかること、学ぶことが楽しくなりそうだという、前向きな気持ちを少しでも高めたいと思い実施しました。

 

昨年4月にうるま市の伊計島に開校したドワンゴの通信制高校「N高等学校

坪田先生と提携して東大を目指す子たちも学んでいるそうです。

学校は違いますが、この寺子屋からも通信制高校に通い卒業を目指している子がいます。

この教室も個人塾から数えると6年目、県の指定事業に認可されて4年目を迎えます。

それぞれの教育的ニーズにもっともっと応えられるよう研鑽し、実践を積み重ねていきます。

 

筆箱

こちらの地域では、今週の金曜日から新学期が始まります。

学年初めの三日間は「黄金の三日間」と言われていて、どの先生もどの子も、新しい学年のスタートに希望を抱いて、「今年はやるぞ」という気概に満ちています。

この時期を大切にしてほしいです。一年がうまくいくかどうかがかかっているといって過言ではありません。

この春休みに、学用品を補充したり、買い替えたりしたことと思います。特に筆入れは毎日使う身近な文房具ですから、外も中も買い替えたり、足したりしたのではないでしょうか。

筆入れの中身はその子の気持ちの状態を映します。

新しい筆入れや鉛筆、ペンを眺めて、担任の先生は誰だろうかと希望に思いを馳せていると思います。

 

この時期に整えた筆入れの中が、ひと月、ふた月たっても続いているように、時折ゆっくり開いて眺めてみて、学年当初の気持ちを振り返り、維持していきたいものです。

 

バランスボールとバランスクッション

昨日は世界自閉症啓発デーでした。世界各地がブルーに染まり、様々な催し、取り組みが行われました。

そして日本では、今日から発達障害啓発週間です。シンプル・シモン、面白いですよ!

土曜日に、痛いところがあって整形外科にいきました。

最近は多くの病院で、クラークとよばれる人が、医師に代わってに診察前に患者に尋ねたり、診察中にカルテを打ち込んでいます。

そのクラークが、バランスボールに座ってPCを入力していました。

おっ、と思って見ていると、その下にはバランスクッションが…

二段重ねの合わせ技! 安定して座っています。

整形外科で実践しているので、効果やエビデンスも織り込み済みなのでしょう。興味深かったのですが、診察室で写真を撮らせてとは言えませんでした。

どの子にヒットするかなあ、教育的効果も見てみたい。

ちなみにドクターは、チェアーに座っていました。

ペレス先生の思い出

世界自閉症啓発デーを明日に控え、この本を読み返しています。

六甲アスペルガー研究所の所長が訳された本です。

本書には、歴史に名を遺す名だたる天才が名を連ねますが、私の一番のお気に入りはイマヌエル・カント

大聖堂の大時計と、そこの市民イヌマエル・カントとは、同じくらいの情熱と規則正しさでもって、自分の仕事を全うした。起床、コーヒーを飲むこと、執筆、講義、食事、散歩など、すべてが決められた時間になされ、近隣の人たちはカントがグレーのコートをまといスペイン製の杖を手に玄関を出てくると、正確に午後三時半であることをしっていた。…

ズボラな私には絶対真似のできない、素敵な生き方、憧れるなあ。

漫画の主人公でいうならば、柳沢教授のような方だったようですね。

そのカントの生き写しの様だった、大学の時に教わった哲学者 フランシスコ・ペレス先生が懐かしく思い出されます。

そんな先生でしたが、専門はカントや中世哲学でなく、古代哲学でプラトン、先生は、「ペレトン」と呼ばれるのを、何よりも喜んでいました。

ペレス先生も間違いなく天才でした。そして天才故、ユニークでした。

私と住んでいる駅が一緒だったので、ただ近くを歩くだけですが1時間の大学までの道をご一緒することがありました。

先生はいつも西武電車の同じ時刻の同じ車両で通われます。ぐうたらな私は日によって乗る電車も車両も違います。

歌舞伎町からアルタに渡る信号は、必ず人ごみの中を先陣切ってきちんと歩いていきます。

講義では、どんなに先生は熱弁をふるっていようとも、チャイムが鳴った瞬間、言葉の途中でもピタッと終えてくださいます。

ドクターXで、大門美知子が1秒くるわず仕事からあがる、あのような感じです。

古代哲学史の授業では、ペレス先生は絶対に学生一人ひとりを覚えている、出席に名前だけ書いてそおっと退出したりしたら、必ず落とされる、きちんと受けなさい、と上級生に念押しされました。

高校出たての私に古代哲学はとにかく難しく、当時は講義の内容もよくわかりませんでしたが、1年生でこの4単位を落とすと後がたいへんと、時には居眠りしながらも、ちゃんと出席しました。

そして期末の試験の日、いつもは前の方に座るのですが、自信がなく、真ん中より後ろに陣取りました。

学生の総数はというと、いつもの2倍、3倍…。入室してきた先生は、おやっという顔をされます。こりゃあ今日だけきた連中は落とされるな…私はそんなことを思ってました。

問題用紙が配られます。しかし、予想以上の出席数に用紙が足りません、私たちのところでゼロになりました。

学生「えぇーっ!」

「どうするんですか?」

先生「在るものは在る、ないものはない。」(古代哲学者パルメニデスの言葉)

前の方の学生たちから笑い声

私(笑い事じゃないだろ、あんたたちが突然来るから足りなくなったんだよ)(怒)

事務で印刷しているのでしょうか、5分、10分たっても試験用紙は届きません。

論述ですから、しっかり書かないと点数はもらえません、どうする…

隣の同級生「レポート用紙に書こうよ!」

私「ペレちゃんが受け付けるわけないだろ!」

隣の同級生「分かるもんか! とにかく書く!」

私は、これは徒労になりそうだと結局書かないでいました。15分ほどたって、ようやく届きました。隣も結局もう一度書き直しです。

ペレス先生が机間を回ります。手を挙げてたずねました。

私「先生、15分遅くはじまりました。終わりは〇〇分でよいですか?」

先生「いえ、〇〇分です。(元々の時刻を言う)」

私「でも、遅れて始めましたよ(必死)」

先生、両手の平を上にして困ったの外人独特のポーズ

私(だめだこりゃ、落ちる)(涙)

これは時間内に書きあげるしかありません。必死に古代哲学史を論じました。ペレス先生の大好きなプラトンを中心に!

数カ月後、古代哲学史はいちばんいい成績が届きました。そういうわけで、今では笑って話せます。

その後、年に一度教授と学生が集う日に、ご高齢の先生も学生と一緒にサッカーを楽しんでおられました。今は亡き先生の懐かしい思い出です。

 

 

 

歩く

本土に住んでいたころは、よく歩きました。

高校時代は、長崎に住んでいました。外出時に当時100円の路面電車代を節約して歩き、帰りはバスだと坂を登るものの、20円安いからと最寄りの電停から寮まで歩いていました。

大学は東京でした。より歩くようになりました。授業が早く終わる日は、定期を持っているのに新宿まで30分から1時間かけて歩いたり、1つ前の駅止まりの終電から、自宅まで1時間かけて歩いたりしていました。

きわめつけは、駅から遠いと家賃が安いからと、最寄駅から徒歩20分近くかかるところに住んでいました。

今思うとヒマだったのかもしれませんが、それなりに学業とアルバイトに励んで忙しくしていました。

その分、健康で体力もあったように思います。

今では車の恩恵にどっぷりと浸ってしまい、わざわざ歩く機会を設けない限り、てくてく歩くことがなくなっています。

子どもたちも例外ではありません。特にこの石垣島は車社会で、子どもたちも、どこに行くにも送迎です。

また、公共交通機関を使っての移動というのはまずありません。島内では、そのようなチャンスは本当に限られます。

寺子屋でも送迎サービスをしていますから、皮肉にも下校時の歩く機会がなくなっています。

加えて、勉強するにも、将来働くにも、一定の時間に集中し続ける体力がなければいけません。

そこでできるだけ、歩行の機会を取り入れています。車の中のスピードとは違う、歩くことによって見えてくる世界、得られる感覚を獲得していきたいものです。

 

世界自閉症啓発デーを前に

4月2日は、国連の定めた、「世界自閉症啓発デー」です。

この歴史は大変浅く、10年前の平成19年の国連総会において、カタール王国王妃の提案により、毎年4月2日を「世界自閉症啓発デー」とすることが決議され、全世界の人々に自閉症を理解してもらう取り組みが行われるようになりました。

わが国でも、世界自閉症啓発デー・日本実行委員会が組織され、4月2日から8日を発達障害啓発週間として、シンポジウムの開催やランドマークのブルーライトアップ等の活動を行います。

この「ブルー」は、「希望」や「癒し」の象徴、また自閉症者が落ち着く色と言われています。

自閉症をはじめとする発達障害について知っていただくこと、理解をしていただくことは、発達障害のある人だけでなく、誰もが幸せに暮らすことができる社会の実現につながるものです。

沖縄でも、ライカムのブルーライトアップをはじめ各地で啓蒙活動が行われます。

しかし残念ながら、ここ八重山ではまだ活動が行われていません。

今年は少しでも知らしめたいと、かつて活動していた沖縄県自閉症協会に協力いただいて、ポスター、パンフレット、リーフレットを市役所、支庁、福祉協議会や相談支援機関に配り、展示して回りました。

もちろんこれだけではまだまだです。次年度以降は、小さいながらも手作りのイベントをこしらえたいと考えています。

 

雑草で中学理科

石垣島の雑草の繁殖力はすごいです。

刈ったと思っても、二週間もすれば元通り、といっても大げさではありません。

というわけで一年中雑草と格闘していますが、生えてくる種類は、季節またその時々の勢力によって異なります。

一昨年ぐらいから幅を利かせているのが、こちら(名前は分かりません)

黄色い小さなかわいい花が咲くのですが、見事なまでの雑草です。

そして、昨年あたりから勢力を伸ばし始めたのがこちら(残念ながら名称不明)

かわいい葉っぱのようですが、今や最大の敵。

上のものは、抜きにくい、主根が固い地中にがっちり生えています。地下茎で増やしているようです。

下の種類は、上ほど抜きにくくはありませんが、繁殖力がすごく、もぐらたたきのように生えてきます。

両方とも、ウサギが食べようとしません。このあたりも繁茂の強さと関係があるかも知れません。

どちらも主根と側根がある双子葉類です。葉脈も網状脈ですね。

単子葉類の雑草はひげ根ですが、こちらは比較的抜きやすいです。

葉の様子から根を予想して抜くのは、なかなか面白いです。

中学生も黒板とプリントだけで植物のつくりを勉強するより、覚えやすいかも。

好きなことから学ぶ

本日は千秋楽 逆転優勝にファンが湧きました。

稀勢の里と照ノ富士、それぞれの先代の親方は隆の里と二代目若乃花、ライバル同士ではありませんか。

当時私は小学生でした。隆の里や若乃花が現役の頃からの相撲好きです。

相撲に興味を持ち、そこから派生するいろいろなことを学びました。

相撲は、1、3、5月とひと月おきに開催されます。一場所の日程は15日なので、勝ち越しと負け越しがはっきりします。偶数と奇数の概念を学校で習う前に何となく理解しました。

明日この人が負けるとこうなって、勝つとこうなって、と場合の数のようなことも一人でやっていました。

好きになると力士を覚えます。四股名は漢字が主で、絶対学校では習わないような字も沢山あります。随分読み書きできるようになりました。

また、力士の出身地や、~山、~川などという四股名から、行ったこともない都道府県名や市、山地や河川に親しみを持って覚え、後に地理で役立ちました。

現役力士を覚えてしまうと、過去の力士が知りたくなります。戦後、戦前から江戸時代まで、時代背景もそれぞれの横綱の逸話とともに頭に入ってきました。

独特の筆文字にも興味が湧いてきます。自宅の風呂のコンクリートの壁に水で書きながら、何とかしてあの芸術的な字を書きたいと、タダで練習していました。

相撲ばっかり見てないで、少しは勉強しなさい、と小言をもらったこともありますが、今思えば、随分効率的に勉強していたようです。

教室に通ってくる子には、学習性無力感を持つ子もいます。何とかして学ぶ楽しさと喜びを少しでも味わわせたいと、日々模索しています。

好きなことでないと、興味・関心は起こりにくいと思います、ですから、好きなことをまず見つけてほしい、春休みはそんな時にしたいです。

タンカン

田舎の母親から、タンカンが送られてきました。

友人、知人のSNSにも、同じように故郷の母親からポンカンやタンカンが届いたという投稿があり、心が温まります。

冬の風物詩なのですが、昨年は奄美の農家にとって辛い出来事がありました。

根絶したはずの害虫がいたのです。島外へ持ち出すことができなくなりました。

島の中で消費しきれず、機械で処分する映像に心を痛めました。

丹精込めて育てた品を自らの手で廃棄しなければならないのは、どれほど辛かっただろうと思います。

2年ぶりに味わう奄美のたんかんは格別の味です。