ペレス先生の思い出

世界自閉症啓発デーを明日に控え、この本を読み返しています。

六甲アスペルガー研究所の所長が訳された本です。

本書には、歴史に名を遺す名だたる天才が名を連ねますが、私の一番のお気に入りはイマヌエル・カント

大聖堂の大時計と、そこの市民イヌマエル・カントとは、同じくらいの情熱と規則正しさでもって、自分の仕事を全うした。起床、コーヒーを飲むこと、執筆、講義、食事、散歩など、すべてが決められた時間になされ、近隣の人たちはカントがグレーのコートをまといスペイン製の杖を手に玄関を出てくると、正確に午後三時半であることをしっていた。…

ズボラな私には絶対真似のできない、素敵な生き方、憧れるなあ。

漫画の主人公でいうならば、柳沢教授のような方だったようですね。

そのカントの生き写しの様だった、大学の時に教わった哲学者 フランシスコ・ペレス先生が懐かしく思い出されます。

そんな先生でしたが、専門はカントや中世哲学でなく、古代哲学でプラトン、先生は、「ペレトン」と呼ばれるのを、何よりも喜んでいました。

ペレス先生も間違いなく天才でした。そして天才故、ユニークでした。

私と住んでいる駅が一緒だったので、ただ近くを歩くだけですが1時間の大学までの道をご一緒することがありました。

先生はいつも西武電車の同じ時刻の同じ車両で通われます。ぐうたらな私は日によって乗る電車も車両も違います。

歌舞伎町からアルタに渡る信号は、必ず人ごみの中を先陣切ってきちんと歩いていきます。

講義では、どんなに先生は熱弁をふるっていようとも、チャイムが鳴った瞬間、言葉の途中でもピタッと終えてくださいます。

ドクターXで、大門美知子が1秒くるわず仕事からあがる、あのような感じです。

古代哲学史の授業では、ペレス先生は絶対に学生一人ひとりを覚えている、出席に名前だけ書いてそおっと退出したりしたら、必ず落とされる、きちんと受けなさい、と上級生に念押しされました。

高校出たての私に古代哲学はとにかく難しく、当時は講義の内容もよくわかりませんでしたが、1年生でこの4単位を落とすと後がたいへんと、時には居眠りしながらも、ちゃんと出席しました。

そして期末の試験の日、いつもは前の方に座るのですが、自信がなく、真ん中より後ろに陣取りました。

学生の総数はというと、いつもの2倍、3倍…。入室してきた先生は、おやっという顔をされます。こりゃあ今日だけきた連中は落とされるな…私はそんなことを思ってました。

問題用紙が配られます。しかし、予想以上の出席数に用紙が足りません、私たちのところでゼロになりました。

学生「えぇーっ!」

「どうするんですか?」

先生「在るものは在る、ないものはない。」(古代哲学者パルメニデスの言葉)

前の方の学生たちから笑い声

私(笑い事じゃないだろ、あんたたちが突然来るから足りなくなったんだよ)(怒)

事務で印刷しているのでしょうか、5分、10分たっても試験用紙は届きません。

論述ですから、しっかり書かないと点数はもらえません、どうする…

隣の同級生「レポート用紙に書こうよ!」

私「ペレちゃんが受け付けるわけないだろ!」

隣の同級生「分かるもんか! とにかく書く!」

私は、これは徒労になりそうだと結局書かないでいました。15分ほどたって、ようやく届きました。隣も結局もう一度書き直しです。

ペレス先生が机間を回ります。手を挙げてたずねました。

私「先生、15分遅くはじまりました。終わりは〇〇分でよいですか?」

先生「いえ、〇〇分です。(元々の時刻を言う)」

私「でも、遅れて始めましたよ(必死)」

先生、両手の平を上にして困ったの外人独特のポーズ

私(だめだこりゃ、落ちる)(涙)

これは時間内に書きあげるしかありません。必死に古代哲学史を論じました。ペレス先生の大好きなプラトンを中心に!

数カ月後、古代哲学史はいちばんいい成績が届きました。そういうわけで、今では笑って話せます。

その後、年に一度教授と学生が集う日に、ご高齢の先生も学生と一緒にサッカーを楽しんでおられました。今は亡き先生の懐かしい思い出です。