ふみの月

文月の異名を持つ7月も明日で終わり

また、7月23日はふみの日でした。

小学生の時、切手を集めていた時期があって、夏休みに入ってすぐに、4キロ離れた郵便局まで、ふみの日の記念切手を買いに出かけた思い出があります。

学期中は宿題に追われるため、平日のメニューではなかなか丁寧に、心を落ち着けて文字を書くことにだけ集中できない現状です。

そこで、夏休み入りたての一週間あまり、硬筆・ペン字の時間を設けて暑中見舞いを書きました。

送り先は、それぞれの学校の担任の先生を中心にしました。

大人でもメールどころかライン中心になり、日本の伝統と風物詩は忘れられつつあります。

郵便番号、住所、宛名を書いたことも、ハガキを自分の手で投函したことも、切手の裏を舐めて左上に貼ったこともない子もたくさんいると思います。

そして何よりも、日ごろお世話になっている人に感謝し、ご挨拶する習慣を大切にしてほしいと思います。

知的好奇心

国立科学博物館に、「歴史を旅する日本人」というコーナーがあります。

港川人から江戸時代まで、ヒトの進化と生活に着目した模型が展示されています。

髪の毛や産毛の1本1本までがリアルで、今にも動き出しそうです。

もしかしたらいつか、石垣島で発掘された白保竿根田原人の模型も作られ、展示されるかもしれません、その日が楽しみです。

江戸時代のヒトは、近世人と表示されておりました。男の子の髪形が現代からみるとユニークですが、当時は当たり前の髪形だったのでしょう。何かを真剣な眼差しで見つめています。

説明書きにこのように記されていました。

わが子を寺子屋に連れてきた母親と、武家出身と思われる先生。平和の続いた近世には、庶民の間でも寺子屋における「読み書きそろばん」の教育が普及した。先生が説明している「傘式地球儀」は、土浦の沼尻墨僊の発明によるもので、最新の知識を庶民にまで至らせるという日本式教育の象徴といえよう。

国立科学博物館らしい表現です。

子どもたちの知的好奇心を満足させる教室であらねばと改めて心に誓った次第です。

生きる

今月は存じ上げる方々の訃報が幾つもありました。

つい先日は、日野原Dr.が大往生を遂げられました。

書棚からDr.の著書を取り出して読み返しています。

この本は12年前に大きな手術をしたとき、お見舞いにいただいたものです。

ここ数年の日野原先生のお姿と比べるとかなりお若いです。それでも90余っていらっしゃったのですね。

星野さんの詩は、30年以上前に首を怪我して入院した時、お見舞いに贈っていただきました。

石垣島でも数日前に、110歳のおばあちゃんご逝去の報を、新聞の謹告欄で拝見しました。

沖縄では、97歳を迎えるとカジマヤーの祝いをします。

当時勤務していた校区内の集落にお住まいだったので、児童たちの演奏で一緒にパレードをしました。石垣に来た年に、貴重な経験をさせていただきました。

あれから13年

今日、その時にいただいた日本手拭いが出てきました。おばあちゃん、長い間お疲れさまでした。頭に巻くたんびに思い出しますね。

自分の一生があとどのくらい残されているかは分かりませんが、一度きりの人生、とにかく大事に生きたいと思います。

寺子屋 4年目のスタート

寺子屋が満3周年を迎え、今日から新たに4年目に入りました。

平成26年の7月1日にスタートを切りました。

6月29日に開所式を催しましたが、最終的な認可の通知が届いたのは翌30日

ギリギリにしか県の書類は届かないと聞かされてはいましたが、実際に届くまでは心配でした。開所式までして、新聞に取り上げてもらって、万が一オープンできなかったらどうしようかと内心冷や冷やでした。

開所当時から通っている生徒は5名

スタートして半年位までは、1日に5名出席者がいるのが稀でした。

今日現在通っている子は31名を数え、10人を越える日もあります。隔世の感です。

無事に1周年を迎え

2周年を終え

3周年を迎えました。

石の上にも三年の諺通り、先ずは3年継続し、社会的な責任を果たすことができてほっとしていますが、自分の中では石の上にも十年といつも言い聞かせています。

公的な教育・福祉で手の届かないサービスをこれからも提供できるように、不断の努力を惜しまないこと、怠らないこと

 

数ある放デイと児童発達支援の中から、わざわざ寺子屋を選んで通ってくれている子どもたちと保護者

そして数ある勤め先、職種の中から合同会社RUCAを選択し働いておられる職員の皆さんに改めて感謝します。